ようこそ、「ガーデン・シティ」メルボルンへ

小林夕子 
オーストラリア・メルボルン在住会社員。アメリカと日本で幼少期を過ごした後、日本では映像関連会社に勤務。現在はメルボルンで通訳・翻訳業務に従事している。余暇の楽しみは映画館、美術館、図書館、マーケット巡り。

メルボルンと聞いて、皆さんはまず何を思い浮かべるでしょうか?世界で最も住みやすい都市、異文化都市、カフェ、全豪オープンテニス…?

こんにちは、オーストラリアはメルボルンで暮らしている小林夕子です。12年前、私がメルボルンに降り立つ前は、映画「マッド・マックス」のロケ地というのが唯一持ち合わせていた印象でした。「あんな荒くれ者たちが爆走する、赤い砂が舞う大地に行くんだ」と、飛行機に乗りながら妙にワクワクした記憶があります。しかし、その期待は良い意味で裏切られることに。延々と続く赤茶の大地を上空から見届けた後、いよいよメルボルン空港への着陸態勢に入る直前になると、唐突に緑のポケットがぽっと現れたのです。

オーストラリア大陸の上空から。蛇行する水脈が、赤茶の大地を切り込んでいく。

オーストラリアと一言でいっても、州によって見せる表情はまったく異なります。例えば、ビーチやサーフィンで有名なクイーンズランド州は「Sunshine State」、シドニーがあるニューサウスウェールズ州は「The First State」、そしてメルボルンを州都とするヴィクトリア州は「Garden State」という愛称で親しまれています。

元々イギリスの植民地だったオーストラリアの中でも、ヴィクトリア州は気象条件などの影響でガーデニング文化が根付いたといわれており、とにかく人口に対する緑地の割合が大きい。特にメルボルンは「歩けば公園にぶち当たる」といわれるほど公園が多い街で、中でも有名なのが「ボタニック・ガーデン」です。中心街(CBD)を南に向かって歩き、ヤラ川にかかる橋を反対側に渡ると、ヤラ川の蛇行に沿って優雅に広がるこの公園。広さはなんと東京ドーム8個分もあり、大晦日の打ち上げ花火や年間を通して開催される野外イベントの会場となる、メルボルンのアイコンのひとつです。

ボタニック・ガーデンに隣接しているShrine of Remembrance(戦争慰霊館)の広場。この日はギリシャ独立記念日の記念式典で賑わっていました。

メルボルンらしい賃貸契約のルール

そんなメルボルンには、緑豊かな「ガーデン・シティ」ならではのルールも見られます。私がメルボルンに来て初めて家探しをしていた際、賃貸契約の中に「定期的にNature Strip(ネイチャー・ストリップ)をメンテナンスすること」という条項がありました。洗濯物をベランダに干してはいけない、というのは海外でよくあるとは聞いていたのですが、Nature Stripとは…?初めて聞く単語に、「定期的に裸族が出没するのか…」などあらぬことをいろいろと想像してしまいました。

そこで、恐る恐る不動産屋に聞いたところ、これは「敷地内の緑や芝生に取水制限の範囲内で水やりをし、枯らしてはいけない」という決まりだそうで、定期的に行われるインスペクション(不動産屋による内見)のチェック項目の一つにもなっています。ちなみに、友人はタウンハウスの庭の片隅にあった小さな木を枯らしてしまい、植え替えを命じられていました。暮らしの中の緑を大切にする土地柄なんだな、と意識するきっかけになった出来事です。

ところが、私が今住んでいるところはNature Stripどころか、ベランダもない一人暮らし用の簡素なマンション。なぜここに決めたか…理由はただ一つ、裏手にボタニック・ガーデンがあるからです。しかもお庭の手入れは専門の庭師がやってくれるという特典つき。なんという贅沢でしょう!

晴れた日は、訪れた人たちがまるで自宅の裏庭のようにくつろぎます。紫外線の強い南半球では日陰が人気スポット。

環境は人を変える!

今の家に引っ越してきたことで、私のライフスタイルは劇的に変化しました。初めは、晴れた日に本とラグを持って木陰で読書する程度だったのですが、ボタニック・ガーデンの外周(通称Tan)を走るランナーたちの、あまりに楽しそうに、爽快に駆け抜けていく姿に感化され、それまで運動嫌いだった私が走り始めたのです(正確には「歩き始めた」のですが…)。

走るようになって最初の頃は1kmももたずに息切れしていたのが、徐々に距離を伸ばして今ではボタニック・ガーデンの約4kmある外周を2〜3周走れるようになり、ランニングは大切な生活の一部となりました。仕事から帰宅した後、すぐに着替えて外に飛び出すと、夕方のTanはランナーやウォーキングする人、犬の散歩をする人、自転車通勤で家路につく人(格好が本気のライダー)で賑わっています。

日本とは季節が逆になる南半球のオーストラリアはこれから秋が始まるのですが、ちょうど走り始める夕方6時過ぎは、公園の木々が橙色に染まり始め、時折風に乗ってユーカリの香りが。心身共にリラックスし、1日を無事終えたことに感謝できる瞬間です。

ボタニック・ガーデンの外周から中心街のビル群を望む。

ボタニック・ガーデンの未来の姿とは?

去る3月にメルボルンとジーロン(Geelong)の美術館、大学、タウンホールを中心に開催された「メルボルン・デザイン・ウィーク」。今年は「デザインが造る未来」をテーマに、200以上のトークショー、展示、ワークショップが開かれたのですが、その中にボタニック・ガーデンに魅了された私にとって、垂涎もののイベントが行われました。

それが、ボタニック・ガーデンの設計主任(Chief Landscape Architect)のアンドリュー・レイドロー(Andrew Laidlaw)氏が、今後20年(!)の公園の基本計画ついて語るトークショー。そもそも、公園の景観にそのような長期計画が存在すること自体にびっくりでした。1846年の開園当時はバリバリ英国式の庭園作りだったのが、時代と共に形・植生を変えていったといい、この先20年は原住民・アボリジニーの伝統と植生を取り入れた一画や、次世代の子供たちの食育も兼ねたアーバンファーミングなども構想しているそうです。

今回のトークショーの開催場所は公園内にあるHerbarium(ハーバリアム)という植物標本の博物館。

1846年、開園当初のボタニック・ガーデン。

こちらの将来像は、これから市民からの意見を反映し、歴史的環境保全団体であるHeritage Victoria(ヘリテッジ・ヴィクトリア)との協議を経て、年末までに最終化されるとのこと。

さらに、都市生活者の忙しいライフスタイルに合わせて、「癒しの空間」としての公園づくりを目指しているといいます。今でも、来園する人たち全員が快適に、安心してくつろげるよう、公園敷地内は自動車や自転車、ランニング、ボール遊び、フリスビーなどは一切禁止。そうとは知らず、一度走りながらゲートをくぐったら、公園職員のおじさまににっこりと「Tanで走ってね」と注意されました。そしてウォーキングに切り替え、呼吸を整えてから目をつむると、聞こえてくるのは鳥のさえずり、子供の遊ぶ声、心音…。

こちらは先ほどの夕暮れの橋の写真と同じ角度から描かれた19世紀のイラスト。ちなみに、南半球のオーストラリアは白鳥ではなくブラックスワンが一般的です。

メルバーニアン(メルボルン市民)の心の拠り所であるボタニック・ガーデン。私は正直ジムやカウンセリングへ行くより、ここで半日過ごすほうが、断然心も体も元気になる!と信じています。そして今日も、公園は私と同じように思っているであろう人々で賑わっていました。

お気に入りのスポットに立ち寄ると、この日は先客が。バレエダンサーのフォトシュートが行われていました。

公園内のベンチは可動式だということを、このとき初めて知りました(大人2人で抱えている現場に遭遇)。

メルボルンでの暮らしは一筋縄ではいかないこともたくさんありますが、それでも日本への一時帰国や出張の後は、やっぱりここに帰ってきたいと思わせてくれる「何か」があります。この連載を通じて、その「何か」を皆さんにお届けできたら…という思いを込めて、ゆったりと気負いなくお付き合いいただけたら嬉しいです。